19/05/2022
全日本柔道連盟は、今年で19回目を迎える主催していた全国小学生学年別柔道大会を、行き過ぎた勝利至上主義が散見されることを理由に廃止を発表した。
140年前に講道館を設立された嘉納治五郎師範は、天神真楊流柔術、起倒流柔術を学び、それぞれ奥義に達したが、他の流派にも興味をもち、研究に打ち込み、諸流の良さを取り入れ、そこに自らの創意と工夫を加えた技術体系を確立するとともに、理論面でも柔術の「柔よく剛を制す」の柔の理から「心身の力を最も有効に使用する」原理へと発展させ、新しい時代にふさわしい技術と理論を組み立てた。
この原理を「精力善用」の標語で示し、これこそ柔道技術に一貫する原理であるとともに、社会生活すべてに於ても欠くことのできない重要な原理であることを明らかにした。
そしてこの原理を実生活に生かすことによって、人間と社会の進歩と発展に貢献すること、すなわち「自他共栄」を、その修行目的としなければならないと教えた。
主とするところは「術」ではなくこの原理と目的により自己完成をめざす「道」であるとして、術から道へと名をあらため、その道を講ずるところという意味で名づけられたのが「講道館」である。
(以上、講道館HP/講道館柔道の歴史より引用)
また、嘉納治五郎師範は、「勝負は興味のあるものであるから、修行者を誘う手段として用うべきであるが、本当の目的に到達することが主眼でなければならぬ」と述べておられ、「将来大いに伸びようと思うものは、目前の勝ち負けに重きをおいてはならぬ」ともされている。
嘉納治五郎師範は、日本の学校教育の充実、体育教育、スポーツの発展と充実、心身の鍛錬と人格の形成を目指し、格闘術を身につけることに一生懸命になるのではなく、「精力善用」「自他共栄」を理念として、相手に対し、敬い、感謝することで、お互いに信じ合い助け合う心を育み、己だけでなく他人と共に栄えていく事の大切さ説かれている。
そういった創始者の思いから見たとき、少年柔道だけに止まらない「行き過ぎた勝利至上主義」が散見されている今の柔道界全てに対し、見直すべき時と先ず本大会の廃止を決められたのであろう。
それは、幼少期の大切さからくる今回の措置であると考えられる。「三つ子の魂百まで」ということわざにもあるように、人格形成に一番重要な幼少期に、教えるべき大切なことを抜きにして、勝ち負けだけにこだわってしまっている指導者、保護者がいるのなら改めなければならない。
勝負に勝つために、人一倍努力することも、勝利した時に味わう満足感や達成感も、負けたときの悔しさからくる次へ向けて頑張る向上心・・・・等を育むことは、素晴らしいことであり、否定するものではない。試合は本来、目標であって目的ではなく、またそれらは一つの通過点に過ぎず、勝ったことも、負けたことも「学び」となって、成長過程にある少年少女たちの輝かしい将来への糧となっているのか、またなるように指導出来ているのかが、私たち指導者に問われているところであろう。
では、嘉納治五郎師範がいう柔道の究極の目的とは何か?
それは、世を補益する人間の育成であると記されている。
子を思う親は、なるものであれば、それぞれの進む道で有能かつ、世の中に有益な立派な人間になって欲しいと願い、またそのように保護者を含めて導くことこそ、柔道指導者に求められている最重要使命である。
また歴史的に見たとき、人材の育成を間違いない視点で捉えていくには、徳川幕府時代の中で黒船来航の件、そして吉田松陰の教育観、この流れの中で生まれてきた渋沢栄一の存在は、現代の私たちにとっても、指導者はどうあるべきかを痛感させられるものだ。
良い指導の下で育った少年少女が、いずれ成人し指導者となったとき、またその良い指導を持って次の世代への指導に携わっていくことが、乱れ荒れ狂う世の中を正常化することに、ひと役も、ふた役も担えるに違いない。
単なるスポーツではなく武道である「柔道」の良さを、携わるものとして今一度、再確認し、事態を素直に受け止め、「柔道」が今後さらに素晴らしいものに発展するよう磨きをかける時であると考える。
怒濤館石津道場 館長 石津 宏一/講道館柔道八段
『嘉納治五郎師範遺訓』
柔道は心身の力を最も有効に
使用する道である
その修行は 攻撃防禦の練習に
由って身體精神を鍛練修養し
斯道の神髄を體得する事である
さうして是に由って己を完成し
世を補益するが 柔道修行の
究竟の目的である