究道館

究道館 全日本剣道連盟・千葉県剣道連盟に所属し、千葉県東金市に於いて全日本剣道連盟居合及び夢想神伝流居合を研鑽している団体です 。形稽古を中心とし、体力的にも無理なく行うことができ、集中力や呼吸法を鍛錬することで心身の健康に結びつきます。現在、男女を問わず20代〜60代の方々が参加しています。

『道を究める』   今日、我が国には多種なる武道が存在する。剣道・居合道・杖道・柔道・空手道等々そのいずれにも、当然の如く「道」という言葉が付く。野球・サッカー・バスケットといった所謂西欧発祥のスポーツとの異なりはこの点にある。つまり武道と...
01/06/2026

『道を究める』 
 
 今日、我が国には多種なる武道が存在する。剣道・居合道・杖道・柔道・空手道等々そのいずれにも、当然の如く「道」という言葉が付く。野球・サッカー・バスケットといった所謂西欧発祥のスポーツとの異なりはこの点にある。つまり武道とは道を究めることであり、言い換えればその効用は身体的向上に留まらず、精神的な成長をも意味する。

 元来西欧型スポーツの多くは、遊戯からの発展であるのに対し、武道とは我々人間が有史以来繰り広げてきた闘いの産物であり、つまりは命を懸けた末の伝統である。故に、自ずとその中には肉体を越えた精神的高揚が必要とされ、「慈悲」の心を持ちつつ、更に「恐怖」「怒り」「疑心」といった人間の弱点を克服すべきものとして、永年に渡り培われてきたものであろう。

 こうした中で、今日「武道のスポーツ化」が叫ばれて久しい。「目先の勝敗に拘り、武道本来の心を見失っているのではないか」などといった苦言をよく耳にするが、それも敢えて否定は出来まい。戦後80余年に渡って平和を享受してきた我が国に於いて、既にその多くが争いを知らぬ「戦後世代」である。生死を賭けた闘いの中から生まれ出ずる極限の精神力等は到底理解し得ないのが現実であろう。

しかしながらこのような環境に於いても、その目的こそ違え(「健康維持のため」「競技技術向上のため」等々)、永年に渡り弛みなく修行を続けることにより、それまで以上の更なる人間的向上が達成出来るのである。

 現在、自身も40余年に及ぶ居合道の修行中であるが、依然としてその神髄には遠く及ばず、今も尚暗中模索の状態にある。ややもすると技の形や、試合に於ける勝敗に終始しがちになる自己の心に警鐘を鳴らしつつ、その奥に秘められた居合道の心と技を修得するべく、今後も更なる修行に励んで参りたいと考えている。「我人生、終生修行也」の言葉を胸に秘めながら・・・。

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『剣居一如』現在、全日本剣道連盟は、剣道・居合道・杖道の三道から構成されています。そんな中、今回は特に剣道と居合道の関係について考えてみたいと思います。 一般に『剣道は相手と相互に構え合っての勝負であるのに対し居合道はその名の如く「居ながら...
29/05/2026

『剣居一如』

現在、全日本剣道連盟は、剣道・居合道・杖道の三道から構成されています。そんな中、今回は特に剣道と居合道の関係について考えてみたいと思います。

 一般に『剣道は相手と相互に構え合っての勝負であるのに対し居合道はその名の如く「居ながらにして合わす」の術であり、仮想敵を峙するものである』点や、『剣道は打ち合いの技であるのに対し、居合道は斬り落とすの術である』という点に両者の違いを見て取れます。しかし一方で剣道と居合道のそれは密接であり表裏一体・車の両輪の如く、共通の目的を有しています。因って剣道に於いて相手と対峙することによる鬩ぎ合いから養われる間・間合い・気構え等の実戦感覚と、居合道修行に於いて培われる刀法・手の内・精神性等が融合することにより、真の意味での「剣の道修行」に繋がるものと考えます。

 居合とは立合に相対する言葉であり、嘗ては居相・抜合・抜刀術等とも称され、その発祥は戦国期に遡ります。始祖林崎甚助重信より連綿と受け継がれた業は、数多の流派に分かれ今日に継承されています。剣道の如く、立合が両者相対して行われるものであるのに対して、居合は敵の不意なる攻撃に対し後の先を以て鞘離れの一刀にて勝負を決める自己防御の刀法であり、その奥義は「抜かぬ太刀の功名」との諺の如く、刀を抜くことなく雌雄を決することを旨としています。機先を制し、敵の刀を抜かせず圧する極意、これを指して「鞘の中」と解しています。

 このような居合の理念を学び修行することで、技術的進歩は元より、多面に亘る様々な効用がもたらされます。先ずは「仮想の敵を想定し、我が身と心の対応を取る」ことで、常なる思考内での鋭敏さが求められます。故に、精神統一が肝要となり、その積み重ねにより自ずから高い集中力が養われることとなります。また、敵と対峙する際求められる「相手の虚を窺う隙無き姿勢」、息を合わすの喩えの如く、相手の呼(陽)吸(陰)を読み取り、自らの呼吸を悟られぬことが勝負を分けます。曰く、臍下丹田に気を込めた呼吸法を修得することで、心身の平常と集中力の高揚に結びつき、更に、剣道家にとっては、日本刀を扱う好機となります。

竹刀と刀では、その形状から重量・用法に至るまで、大いなる違いがあります。柄の形状の異なりから来る手の内の違い、反りの有無から生ずる切り方の違い等を理解し、刀法を修練することでより剣の本道へ近づくことに繋がります。「実戦の剣道に形の居合道」、その形態は異なれど、正に両者は共立共存関係にあり、即ち「剣居一如」の実践こそが、剣の道を歩む道筋に他ならないと考えます。

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『居合の道』サッカー、テニス、剣道、柔道などの対人競技は、相手との勝敗を通じて優劣を競うものであり、その本質は他者との対峙にある。対して、体操、陸上競技、弓道などは、相手との直接的な勝負よりも、自らの技術、記録、そして限界に挑み続ける競技で...
25/05/2026

『居合の道』

サッカー、テニス、剣道、柔道などの対人競技は、相手との勝敗を通じて優劣を競うものであり、その本質は他者との対峙にある。

対して、体操、陸上競技、弓道などは、相手との直接的な勝負よりも、自らの技術、記録、そして限界に挑み続ける競技であり、言い換えれば「己との闘い」であり、自らを高める不断の修練の取り組みである。

さらにその先の高みに位置する居合道は、本来他者に勝つための術ではない。ましてや勝敗や優劣を競うための競技でもない。己を律し、己を磨き、昨日の己を超えんと修養を重ねる「修行の道」である。

その本質を英語で表すならば、
“Iaido is not about defeating others, but about competing with oneself.”
(居合道は他者を打ち負かすものではなく、自分自身と向き合うものである)
という言葉に帰結する。

一つひとつの動作に心を込め、静寂の中に己を見つめ、技を磨きあげる。その積み重ねの先にあるものは勝利ではなく、克己であり、人格の陶冶である。

『居合の道、人に勝つにあらず、己に克つにあり』
この精神性こそが、国や民族を超えて海外の人々を惹きつける我が国の精神文化の深奥であり、永きにわたり受け継がれてきた武士道精神の真髄が、今なお脈々と息づいている証左なのではなかろうか。

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本日(5/17)開催された㊗️第50回記念東北日本居合道大会に、当館から7名が参加して参りました。
17/05/2026

本日(5/17)開催された㊗️第50回記念東北日本居合道大会に、当館から7名が参加して参りました。

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本日は県居合道部主催で、40年来毎年恒例となっている茨城県居合道範士小林忠雄先生をお招きしての居合道講習会が開催されました。県内各地より80余名が参加し、終日食い入るように先生のお話に耳目を集中するとともに、熱心に技抜き稽古に取り組んでいま...
06/05/2026

本日は県居合道部主催で、40年来毎年恒例となっている茨城県居合道範士小林忠雄先生をお招きしての居合道講習会が開催されました。県内各地より80余名が参加し、終日食い入るように先生のお話に耳目を集中するとともに、熱心に技抜き稽古に取り組んでいました。来年もまた御指導頂く御承諾を得、参加者皆期待に胸を膨らませつつ、16時〜会場を後にしました。小林先生の長きに渡る修行経験に基づく機知に富んだお話を伺い、その中に秘められた沢山のお土産を胸に抱きながら……。

↓演武者は、氏平教士七段です。

住所

Sanmu-shi, Chiba

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