オール早慶野球戦実行委員会(名古屋稲門クラブ)

オール早慶野球戦実行委員会(名古屋稲門クラブ) 4年に1度の夏の祭典!

第15回目の開催まで1年を切りました。

名古屋で華の早慶戦を見ることのできるチャンスです。

開催の際は是非、足をお運びくださいね。

【早慶戦100年の歴史】
1888年(明治21年)に慶應義塾大学体育会野球部の前身である三田ベースボール倶楽部が誕生。遅れること13年、1901年(明治34年)に早稲田大学野球部が誕生する。
 そして今からおよそ百年前、日露戦争前年に当たる1903年(明治36年)に第1回の早慶戦が行われた。しかし、不幸にして早慶戦は長くは続かなかった。1906年(明治39年)秋、応援団の熱狂と不穏さが試合続行を不可能にし、以後20年間、早慶戦は中止された。その後、1925年(大正14年)に六大学野球連盟の発足とともに早慶戦は復活した。
 1933年(昭和8年)秋、「リンゴ事件」が起きる。宵闇迫る9回裏、慶應が逆転勝ちすると、早稲田応援団が球場に雪崩れ込んで大混乱を引き起こした。グラウンドに投げ込まれたリンゴを慶應の水原三塁手が早稲田応援席に投げ返したのが発端と言われている。
 時は日中戦争から太平洋戦争へ

、学徒出陣へと軍靴の足音が近づいてくる。学業半ばにペンを捨て、銃を執り勇々しく前線へ・・・・・・。学生たちの心境を察した慶應塾長の小泉信三の配慮により、「出陣学徒壮行早慶戦」が早稲田の戸塚球場で挙行された。試合の勝ち負けはともあれ、突然何処からともなく湧き上がる「海ゆかば」の厳粛な歌声が、やがて球場を圧し早稲田の杜をゆるがした。そして多くの選手・学生たちが戦地へ赴き、二度と帰らぬ英霊となった。
 戦後直後の1945年(昭和20年)秋に、早くも「野球復興第一陣全早慶戦」が行われ、スポーツと平和そして復興への第一歩が始まった。
 安保闘争の激しい1960年(昭和35年)秋、早慶ともに譲らず驚異の「6連戦」になった。早稲田を優勝に導いた安藤は五試合を完投、彼の体力・不屈の精神力は球史に残る輝かしいものがあった。このときの捕手が現在の早稲田大学野球部監督の野村徹である。野球というスポーツを通じて、様々なドラマが展開され名選手が誕生した。
 世界三大学生スポーツとして、オックスフォード大とケンブリッジ大のボートレース、ハーバード大とエール大のフットボール、そして早稲田大学と慶應義塾大学の野球が挙げられる。早慶戦は両校の名誉を懸けての戦いであり、選手はこの伝統の一戦に青春を懸けるのである。白球に魂を込めて投げる。その白球を打ち返す。その白球を追い駆ける。先の塁を求めて走る。一生懸命のプレーに観客が感動し興奮する。観客の声援に選手が燃える。選手と観客の一体感が早慶戦の醍醐味である。早慶戦は日本の野球の原点であり、ブラスバンドやチアリーダーによる応援スタイルもここから始まった。
 早慶戦百年の歴史は、早慶両校が良きライバルとして切磋琢磨して築き上げられた。知識は学問から、人格はスポーツからという学生の理想像を追い求めた道のりでもある。

参考文献:「慶応義塾野球部史 上・下巻」「早稲田大学野球部百年史 上・下巻」

住所

中区栄1-18-1 ハイツサンライズ407
Nagoya-shi, Aichi
4600008

ナゴヤドームへのアクセス http://www.nagoya-dome.co.jp/enjoy/access.php

一般情報

4年に1度だけ開催される『オール早慶野球戦』のための早稲田サイドの実行委員会 です。

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